LIVE mini vol.2にむけて、ここの所、新曲に取り組んでいます。
僕は三撥の作曲も担当するのですが、執筆同様、とにかく創るのが遅い。
情けなくなる程、創るのが遅い。
なので、創作の早い人をみるととても尊敬します。
でも、遅い僕にも言い分があって、それは『ゼロから組み上げてる』なのです。
誤解を招くかもしれませんが、僕はあんまり太鼓が好きではありません。
でも、僕は太鼓を愛してます。
よくわからないですね(笑)
もう少し言葉を足すと
和太鼓を取り巻く固定概念や実は有りもしない伝統のイメージ(郷土芸能は除く)、それらを何となく良しとし、開拓を、発想を、暴挙を、悪しとしてしまう…受け入れられない。
そんな風潮が嫌いなのです。
じゃあ、和太鼓の何を愛してるのか。
先ほどの『ゼロから〜』に関わるのですが
よく和太鼓の教則本や教則ビデオなどで見かけるのですが…
無闇矢鱈に腕をピーンと上げて打ちなさいとか、手首をガッチリ固定して打ちなさい、とか教えてるのを見て絶望します。
恐らく何処かの和太鼓チームが監修を行っているのでしょう。
そんなもん『打つ』という『道理』から程遠く離れています。
見た目優先なのか何なのか分かりませんが、そんなんしたら打てっこありません。
だいいち速度が落ちます。
しなやかさが落ちます。
それが失くなると『太鼓が鳴る』のを邪魔します。
『打つ』というのは太鼓の皮を叩くという事です。
叩かれた太鼓は凄い速さで『振動』します。
揺れているのです。
『速度』と『しなやかさ』がないと太鼓の『振動』を、撥があたって止めてしまいます。
打った後は鼓面は戻ってきますから。
『太鼓を鳴らす』というのは、太鼓の振動を邪魔せず、過不足なく初打を打ち込む事なのです。
腕ピーンあげて手首ガチーンじゃ、一生音は鳴りません。
石の上にも3年。
3年石を8つほど持ってる僕が言うんだから間違いないです。
…ん?ただのうんちく野郎になりました…
なんだっけ…
あ、そうそう。
太鼓の何を愛してるのか、と、ゼロから〜ってやつですね。
えっと、今度の新曲は今まで使った事のない撥?えもの?を使います。(これは観てのお楽しみ)
『初めて使う物で初めて太鼓を叩く』
これはもう完全に真っ暗闇です。
ルールも基本もありません。
だって多分誰もやった事がないから。
なので一つ一つ『道理』を探します。
これで、この角度で、この返しで、この速度で、この強さで…全部手探りです。
言うなれば太鼓と撥と地面と僕の対話です。
最初は上手くいきません。
でも心をまっさらにして、ちゃんと話しを聴くと応えてくれます。
そんな時、自分でも思いもしなかったような撥筋が生まれます。
と言うより撥が鼓面が教えてくれます。
こんな瞬間があるからたまらんのです。
『お、お前さん・・・そ、そうくるか!そう捌くのか!』
そんな感じなのです。
太鼓は力の流れ、道理を教えてくれます。
それは僕が触れられる『本当の事』の一つなのです。
『本当の事』はどうあろうと美しいものだと僕は思います。
だから僕は太鼓を愛してるのです。
そして、そんな風に曲を創ってるから遅いのです。
はい。そうですね。言い訳ですね。
速く創れるように頑張ります。ゴーめんなサイ。
メンバーの皆さんゴーめんなサイね。
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