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2013/05/23

和太鼓ってなんよ

LIVE mini vol.2にむけて、ここの所、新曲に取り組んでいます。

僕は三撥の作曲も担当するのですが、執筆同様、とにかく創るのが遅い。

情けなくなる程、創るのが遅い。

なので、創作の早い人をみるととても尊敬します。

でも、遅い僕にも言い分があって、それは『ゼロから組み上げてる』なのです。



誤解を招くかもしれませんが、僕はあんまり太鼓が好きではありません。

でも、僕は太鼓を愛してます。



よくわからないですね(笑)



もう少し言葉を足すと


和太鼓を取り巻く固定概念や実は有りもしない伝統のイメージ(郷土芸能は除く)、それらを何となく良しとし、開拓を、発想を、暴挙を、悪しとしてしまう…受け入れられない。
そんな風潮が嫌いなのです。


じゃあ、和太鼓の何を愛してるのか。


先ほどの『ゼロから〜』に関わるのですが

よく和太鼓の教則本や教則ビデオなどで見かけるのですが…


無闇矢鱈に腕をピーンと上げて打ちなさいとか、手首をガッチリ固定して打ちなさい、とか教えてるのを見て絶望します。 恐らく何処かの和太鼓チームが監修を行っているのでしょう。


そんなもん『打つ』という『道理』から程遠く離れています。


見た目優先なのか何なのか分かりませんが、そんなんしたら打てっこありません。


だいいち速度が落ちます。
しなやかさが落ちます。


それが失くなると『太鼓が鳴る』のを邪魔します。

『打つ』というのは太鼓の皮を叩くという事です。

叩かれた太鼓は凄い速さで『振動』します。

揺れているのです。

『速度』と『しなやかさ』がないと太鼓の『振動』を、撥があたって止めてしまいます。
打った後は鼓面は戻ってきますから。

『太鼓を鳴らす』というのは、太鼓の振動を邪魔せず、過不足なく初打を打ち込む事なのです。


腕ピーンあげて手首ガチーンじゃ、一生音は鳴りません。


石の上にも3年。
3年石を8つほど持ってる僕が言うんだから間違いないです。


…ん?ただのうんちく野郎になりました…


なんだっけ…


あ、そうそう。

太鼓の何を愛してるのか、と、ゼロから〜ってやつですね。

えっと、今度の新曲は今まで使った事のない撥?えもの?を使います。(これは観てのお楽しみ)


『初めて使う物で初めて太鼓を叩く』


これはもう完全に真っ暗闇です。

ルールも基本もありません。

だって多分誰もやった事がないから。


なので一つ一つ『道理』を探します。


これで、この角度で、この返しで、この速度で、この強さで…全部手探りです。


言うなれば太鼓と撥と地面と僕の対話です。


最初は上手くいきません。


でも心をまっさらにして、ちゃんと話しを聴くと応えてくれます。


そんな時、自分でも思いもしなかったような撥筋が生まれます。


と言うより撥が鼓面が教えてくれます。


こんな瞬間があるからたまらんのです。


『お、お前さん・・・そ、そうくるか!そう捌くのか!』


そんな感じなのです。


太鼓は力の流れ、道理を教えてくれます。


それは僕が触れられる『本当の事』の一つなのです。


『本当の事』はどうあろうと美しいものだと僕は思います。


だから僕は太鼓を愛してるのです。


そして、そんな風に曲を創ってるから遅いのです。













はい。そうですね。言い訳ですね。

速く創れるように頑張ります。ゴーめんなサイ。

メンバーの皆さんゴーめんなサイね。



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