今日は宮崎で某CMの撮影でした。
光栄な事にグリンコープに続き
【りゅう雅登】氏と親子共演。
朝日が昇る前から撮影準備。
待ち時間が結構あり、色んな話を氏と沢山した。
親子どころか、孫ほど歳は離れているが
これが楽しくて楽しくて仕方が無い。
なぜこんなに楽しいのか。
話している印象として
役者同士として話しているというより
「学者」「専門家」「研究者」
と話している気がするからです。
りゅう氏の中に明確に流れる体系と理論。
視野を狭めることの無い精神。
そして何と言っても人間的なユーモア。
それでいて、気品というか気概というか
それは年輪からくるものなのか、ある時代を生きた人だからなのか
揺れ動いた時代を、情熱を掲げ突き進んだ人だからなのか
真剣に常に「人とは何か」「生きるとは何か」哲学というか人間学を飽きることなく「行ない続けた」人だからなのか
あまりにも誤魔化す事に慣れすぎた「今の時代」とは「別の時代」の人間。
人間の「質」が全く違う。
「役者とは人間の専門家」
まさしくそれを体現しつつ、いまだ研究し続けている人だ。
氏の一番好きな言葉は「醗酵」
愛とか絆とか希望はあまり好まないらしいw
それにはもちろん理由があるわけだが割愛。秘密。
(ちなみに尋ねられた僕は「錆」これも割愛。秘密。)
他にも
高田豊三氏と共演された話。
劇団夢工房の石川蛍氏との青春時代の話。
(どちらの先輩も僕と縁がある。
高田先生は夏目漱石の「坊っちゃん」で共演し、CAPRIの【gift】で出演して頂いた。最高の「師匠」を演じてくださった。
石川蛍氏の本名は僕とおなじ「こうしろう」で夢工房のお芝居に出演させて頂いた。昔は鬼の様だったと聞いたが、僕はとても柔和な印象をうけた。
お二人とも残念ながらお亡くなりになられた。今思えば袖をひっぱてでも付き纏っておけばよかった。)
まだまだある。
学生運動・新劇とは何か・アロンアルファで歯を固定・睾丸は4つある・インドの黒いおばさんは仕事中にも眠たい時に寝る・etc...(ユーモアを交えてちゃんと真面目にはなしてます)
大先輩が気さくに語る昔話のような、つい先日のような話が
僕にこの「お芝居」の世界に居所をくれているような気がして
僕にルーツをくれるような気がして
なんだか今まで僕が歩いてきた道が
先輩方に申し訳ないような、恥ずかしいような
嬉しく切なく有難い気持ちになった。
例えるなら
「お前はな、俺たちの孫だ。これこれこんな事があって、それからお前が産まれたんだよ。」
と祖父が語ってくれたような感覚だった。
肉親以外にも僕は祖父を持つことが出来のだ。(こんな事言うとりゅうさんに怒られるかもしれないが)
嬉しくて仕方が無い。
「現場」という一点だけ交わる繋がり。
その一点のみの繋がりだからこそ
慎重に言葉を選び、言葉を訊き、また新たに発見をすることが出来る。
(氏は最大の喜びは「やはり発見ですね」と言っていた。)
原理・理論・本質・探究・激動・情熱・責任・使命・・・そういった言葉が氏と話していて心によぎった。
今、そしてこれから、僕は氏の本質に近づけるだろうか。
氏の孤独と愛と探求に追いつけるだろうか。
(あ、愛は嫌いか)
僕はあまりに幼く無知で世界知らず。
今はそれが嬉しくて仕方が無い。
最後に生意気をひとつ。
後輩の皆さん、先輩を大切に。
僕らは大きな流れの一つです。
先輩の背中をよく視てください。
そしたら自分がよく視えます。
その先を歩くかは僕ら次第。
僕は歩く。
いつも探しながら。
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